*生きてるだけで十分*
最近、大切な人と「私がどうなったら付き合ってくれる?」ってそればっかり言ってるんです。
そりゃ、私はマイナスな面しか目立たないし、何かとしんどい思いをさせられるから、私を深く知れば知るほどうんざりするに決まってます。
だって、私、ロボットじゃないもん。
人間、マイナスな面もあって当たり前だから、それとどう上手く付き合えばいいのか、私自身が分かってないし、マイナスな自分を受け入れてないから、マイナスな自分が出現した時に、他のことは何も考えれなくなって自傷に走っちゃうんだと思います。
衝動的になる時は、他のことが考えられなくなるくらいパニック状態になりますからね…
大体の精神疾患持ちの皆さんもそうじゃないでしょうか?
だから、私、分かった。付き合うとか、結婚したいとか、同棲したいとか、そんなことよりもっと大事なことが見つかりました。
私の症状として、マイナスな面を0にすることはできなくても、人に迷惑をかけないように自分で折り合いを付けながら上手く症状と付き合って、できるだけ前向きな考えを持ちながら自分なりに人をいたわりながら生きつづけることがなによりも大切なんじゃないかと気付いたんです。
大切な人がいいたいことは、大切な人自身をしんどくさせないようにしてほしいってこと。
つまり、常に前向きでポジティブシンキングな人間が理想だってこと。それって、躁鬱でいう躁状態でもいいのだろうか。
まあ、鬱々されてるよりかはマシだって思うよね。
誰にでも落ち込むことがあるのは当たり前だと思う。ただ、健常者と私たち精神疾患持ちが違う点は、その落ち込んでる時とそうでない時の波の振れ幅が違うんじゃないかって思うんです。
先生がその波の振れ幅を徐々になだらかにしていくことが治療者と患者が一緒になって考えて少しずつ認知の歪みを治していくことが、私たち精神疾患持ちが生きやすくなり、周りに迷惑をかけないようになることだと言っていました。
幸い、私は境界性パーソナリティ障害や双極性障害と診断されるような常に自分の感情の波に振り回されている人間じゃないだけ、まだ治療していくには何年もかからないんじゃないかなと思うんです。
将来、大切な人と一緒に暮らしたり、結婚しないにしても、大切な人と私が何事もなく明るく前向きに生きてるだけでも十分幸せなんじゃないかと…悟れるくらいに落ち着いてきました。
あ、そうそう。私は''普通''って言葉が一番嫌いです。障害や持病を抱えた人と健常者の普通だって思う価値観は一人一人違って当たり前だからです。それは、スクールに通ってよーく学びました。
どんな人も生まれながらにして人権が尊重されて当たり前。一人一人の価値観が違うように一人一人の中にある普通っと違うし、限度だって限られるから。
それは、どんな人でもお互いを認め合って共存することがその人がその人らしく生きることにつながるんだそうです。
たぶん、大切な人がいう''普通''は大人しくていい子でいることなんじゃないかなって、私はそう感じています。
私は父親にも見放されるくらい、いい子じゃないことは自覚してますからね。
人は皆、生まれながらにして個人として個性を尊重して生きていく生き物であって、自分のマイナスな面もプラスな面も受け入れた上でいかに生きやすいように自尊心や自己肯定感を高めながら生きていくかによって、生きることに喜びやありがたさを感じるんだそうです。
うん、私は私のこと、父親に散々馬鹿にされ続けてきた影響もあり、「自分はダメな人間だ、自分のことしか考えられない迷惑ばかりかける人間だ」という私自身の心に貼られたレッテルを剥がすことは難しいのですが、大切な人に迷惑をかけたり、しんどい思いをさせる原因を減らすことは、私の努力次第で変えられると思うんです。
否定ばかりされることに慣れてしまったせいか、自分はいらない存在だと思う心の底にある思いはなかなか消えませんが、大切な人のことや周りの人のためを思いやる気持ちは徐々に育めると思うんです。
目標!大切な人をしんどい思いをさせる原因わ作らない、ある程度完璧に近い人間になる!
それが私の今の目標です。
それに付き合うとか付き合わないかとかこだわっても仕方がないので、私は私で先生の下で働けるように勉強や仕事でどう利用者さんに接したら、利用者さんが幸せに生きていける為のお手伝いができるかを考えることにします。
そうだよ。働いて学費や学校に行ってる間の生活費を稼ぐことも大切だけど、私は治療と勉強にもっと前向きに取り組まないと、今現在2年近く精神病院に入院している自律神経失調症と発達障害持ちの友達を救うことすらできないまま、友達が何度も自殺未遂を繰り返すのをただ黙って見てることしかできない状態になるじゃん。
精神病院に入退院を繰り返す様々な友達を救いたいから、精神保健福祉士になりたいのに、私も一緒になって自殺念慮に囚われてたら何の意味もないですね。
その友達の立派な夢である「画家として個展を開くこと」を実現してもらうために、友達が退院するまでに私も少しずつ明るく前向きに変わらなきゃ。
もう、友達たちが自殺未遂を繰り返すのを黙って見てるだけでその前から助けることができないなんて嫌だ。
友達もそうだけど、私も私で主治医と前向きに治療をしながら、人を振り回すことがないくらい回復してきたら、また一つ私という人間の中にいる未熟な子供の部分が大人になって成熟するんじゃないかなって思います。
生きてるだけで丸儲けって言葉がありますよね?本当にその通りだと思います。
私が一人だろうと大切な人がいようといまいと、ただ前向きに真っ当に生きていくことが自己肯定感を上げることにつながって、それにより人のことももっと大切に思えるんじゃないかと最終的に考えがまとまりました。
何も完璧じゃなくても、ただ前向きに一生懸命、その人ができる範囲でその人が生きてて少しでも幸せを感じて「生き続けていきたい」と思って生きることが大切なんじゃないかと結論として辿り着きました。
勉強でいう受験に似てる気がする。私が成長、成熟したら合格。今のまま、表面上だけ明るく取り繕って、裏では自分を粗末にし続けていたら不合格…みたいな。
よし、勉強することが楽しいことだって大人になってから気が付いたからこそ一から勉強しよ。