*職場で壁と同化してる存在*
最近、私は昼間の配達業での私の存在価値、存在感についてつくづく考えています。
私、あのセンターで「きぃ」って人間として認識されてる?きちんと皆さんの中に少しでもいいから存在できてる?って。
まあ、昼間の仕事場で技術職や職人職ではない一般的な企業、会社というものはそこで「〇〇さん」っていう誰がどんな風に働いていて、何を考えているのかなんて、誰も見ていません。
なんて冷たい社会なんでしょうね。
そうか、私が今まで働き続けて来た職場って、人数は少ないし私がいるから笑ってくれたり、シフトに入っては話しかけてくれるっていう人が一人は必ずいたから、それが自然だと思っていたから、寂しいなんて感じなかったし、わざわざ「私、本当に存在してる?」なんて考えることがなかったんだと思います。
そんな厳しくも優しくて、暖かい会社やお店の皆さんに感謝しないとですね。
たしかに、今までパティシエール見習いの時も、居酒屋も、飲食店も、ショットバーも、レジ打ちも…ぜーーーんぶ私が皆と同じように器用に仕事がこなせてるこなせていない関係なしに、仕事ができていない私でも私はそのしょくばに「きぃ」っていうただ一人の存在として存在していたんだと思います。
あんなに、私が仕事ができていないばっかりに厳しくて、キツい言い方をしては私に注意してくださってたけど、私はきちんと皆さん中で存在していたんですね。
嫌ってたり、本当に相手にしたくないくらい面倒な相手ならとっくに、注意すらしてもらえず、存在感自体なくなっていたと思います。
でも、今の昼間の職場では、私は存在してない…
ただ、若い子娘のアルバイトが週5日勤務しに来て、最低限の誰にでもできて当たり前の仕事量をこなしている人間?コマとしか思われてないように感じます。
私が職場に、自分の存在を認めて欲しいって、承認欲求が強いだけだとは思いますが、誰も私がいることに気付かない。
「きぃ」じゃなくて、たまたま辞めずに続いてる20代のアルバイトの一人にしかすぎないんです。
これが会社、こんなにも自分がその場にいても透けているみたいで、虚無感が強くなるばかりな状況が社会の当たり前なんでしょうか。
私がアルバイトでも社員でも、そこにいる一人一人はどこをさがしてもいないオリジナルの「〇〇さん」だから一人一人のことをよく見て、この人はこうだとか、この人にはこう接した方がいいなとか見ていますが、私が周りの人間を気にして見過ぎているだけなのかもしれません。
社会というのは、職場の人間一人一人に少なからず興味を持って、その人のことを知ろうとする人なんていないのが皆が言う''普通''なんでしょうかね。
私はそんな寂しい社会は嫌です。
同じ会社で働く仲間なんだから、少しは自分以外の人間のことは気にするし、気になるからよく見ちゃうし、その人だから〇〇だっていうその人にしかない部分を見つけたら、一人一人の「〇〇さん」って存在を認めることができるんじゃないかと思いながら、職場の人と接しています。
だって、他人かもしれないけど、自分とは違う人間で誰一人同じ人なんていなくて、皆が''オリジナルな人''なんだから、どんなに個性的で自分が苦手な相手でも必ずその人にはいいところがあるんだから、その人をよく見て「〇〇さん」って認識したら、だれも色がない人間なんていないんだから、誰か一人でもそうやって皆の存在をオリジナルとして認めたっていいんじゃないかと思うんです。
でも、私はあの職場では多分…壁や地面と同じ色…同化しちゃって、消えちゃっているんだと思います。
こんなにも私の存在が消えてるって感じる職場は初めてです。
いいや、それならもう息を潜めるくらいの勢いで空気と同じくらい私の存在を消して見せるから。
もう、知らない。